ホルホル

1: LingLing ★@\(^o^)/ 2015/07/31(金) 18:40:33.90 ID:???.net
「日本の茶文化は元々韓国から渡ったものだが、彼らがそれを整えて育てて自分の物のように、
世界に自慢しています。誰もしないから、国も緑茶を私たちの固有の茶として、また育て上げなけ
ればなりません。」

アモーレパシフィックを創業したソ・ソンファン(※徐成煥、2003年死去)会長が普段周囲の人々に
口癖のように言った言葉だ。ソ創業者はいつも「国に力がなく、文化産業を伝える大企業がなく、
美しかった韓国の茶文化が姿を消している」と残念がった。

結局、彼は1979年経営陣の反対を押し切って済州漢拏山南西道順地域の荒れ地を茶畑に
開墾し始めた。ソ創業者の緑茶事業は、スタートから順調ではなかった。事業公表直後、会社の
経営陣らは「化粧品事業で儲けたお金を茶事業で吹き飛ばすことはできない」と彼を圧迫した。
茶栽培のための敷地購入も地域住民たちの激しい反発に直面した。茶畑開墾のための敷地の
買い入れを不動産投機だと誤認した済州島民の抗議が殺到したためだ。

しかし、「コーヒーより良い茶を国民に伝える」というソ創業者の執念は消えなかった。彼は私財を
はたいて緑茶事業を開始しており、道民を説得する働きかけも忘れなかった。ソ創業者の努力で
アモーレパシフィックの雪緑茶は36年越しで韓国を代表する茶になった。

ソ・ギョンベ(徐慶培)会長は、そんな父親の「底力」を見て育った。息子は今、父親が作った茶を
済州と連携し世界を代表する観光商品として育成している。

最も代表的な成功モデルはソ・ギョンベ会長が2001年済州曙光茶園に開館した緑茶博物館
「オソルロク ティー ミュージアム※」だ。韓国内初の茶展示館であるここは「緑茶文化を広く拡散
させなければならない」という父親の意思を守るためにソ・ギョンベ会長が2001年9月に開館した。
>>0�O'sulloc Tea Museum

より多くの人々が済州の美しさと緑茶文化に接することができるように無料入場が原則だ。博物館
は緑茶のヒストリーはもちろん、茶道体験と新茶フェスティバルなど様々な文化行事を済州と連携し
た。 現在、年間観覧客が120万人余りに上り、このうち大半は中国・日本・欧州観光客だ。

ソ会長は2013年3月にはオソルロクティーミュージアムの隣に複合茶文化体験のための新しい
「オソルロク ティストーン(Tea Stone)」も作った。オソルロクティストーンは、先祖たちが墨と硯を活用
して文化や芸術を表現したように韓国茶文化を拡散する根幹になるという意味だ。オソルロクティス
トーンでは発酵茶やブレンドティー体験、茶食菓・入浴剤作り、秋史ギャラリーの観覧などを経験
することができる。特に、発酵茶開発にまつわるストーリに触れることができ、済州杉樽を活用して
作った発酵茶「杉茶然」を直接試飲してみることができる。

ソ・ギョンベ会長は近頃、父親が生涯で築き上げた「緑茶の大衆化」を「ブランド化」するために
先頭に立っている。ソ会長は緑茶の品質を高めるため、2002年から茶園のすぐ隣に、国内最大
規模の茶研究所を設立した。ここに土壌管理、栽培、育種、加工分野など科学的なシステムを
構築し、済州緑茶の栽培農家たちに栽培技法を伝授している。

2009年からは全茶園で化学肥料を一切使わない有機栽培方式で生産し「済州緑茶」が世界
的な緑茶ブランドとして定着することに貢献している。 済州緑茶発展研究会、茶園周辺の村など
も後援している。特に緑茶栽培のための肥料、エコ薬剤、包装材購買を通じて地域経済協力も
続けている。

その結果、「オソルロク」は以前の韓中首脳会談で、中国の習近平国家主席夫妻へのプレゼントと
して提供されるなど国内最高級の名茶ブランドとして証明された。

ソ・ギョンベ会長は「父の済州緑茶愛に比べれば、私はまだ半分の半分も及ばない」とし、「今後、
済州内の植物種や化粧品産業を育成するため、関連研究を支援して、K-ビューティー・文化・
体験を融合した観光コンテンツで済州経済活性化へ先頭に立ちたいと思う」と強調した。

ソース アジア経済(韓国語) 代を継いだ緑茶愛…ソ・ギョンベ(徐慶培)会長「済州島を緑茶観光のメッカに」
http://www.ajunews.com/view/20150729133414695

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【【日本の茶文化は韓国が起源ニダ!】「日本の茶文化は元々韓国から渡ったものだが…」 ~アモーレパシフィック、引き継いだ「済州緑茶愛」】の続きを読む