1: ダーティプア ★@\(^o^)/ 2015/01/24(土) 13:54:28.32 ID:???.net
佐賀県唐津市にある名護屋城博物館企画係長の広瀬雄一さんが韓国人教師293人の前でマイクを握った。「私は釜山教育大学で6年間、
日本語を教えました。家内も釜山出身です」。韓国人教師たちは「おおー」と歓声を上げて拍手した。すると、広瀬さんは『釜山港へ帰れ』を
韓国語バージョンで歌い始めた。「花咲く椿島に/春が来たが」…歌詞を少し間違え、頭をかいていたが「兄弟が出発した釜山港に/カモメ
だけが悲しく泣く」と歌い続けた。今月20日、朝鮮日報主催の「日本の中の韓民族史」探訪団が佐賀県の名護屋城跡を訪問した時の話だ。

名護屋城は、豊臣秀吉が壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こそうと5カ月で急ごしらえした朝鮮侵略基地だった。一番高いところに登ると90
キロメートル離れた対馬が見えるほど韓国に近い。秀吉はここから朝鮮に向かう倭船(日本の船)を見て「朝鮮と明国を征伐し、インドに皇居
を築きたい」という妄想にふけっていた。

そうした名護屋城跡の前に1992年、博物館が建った。この博物館は韓日交流をテーマにした遺物を常設展示している。ハングルと日本語
で併記された展示説明文を見て驚いた。 「日本が起こした文禄・慶長の役は日韓の長い交流の歴史を断絶させた不幸な出来事だった」
という言葉で始まるこの説明文には「多くの朝鮮人と文物が日本軍により略奪された」と書かれている。日本による植民地時代を説明した
文では「日本は朝鮮を徹底的に弾圧し、皇民化政策や強制連行などを行った」「日本による植民地支配は朝鮮の人々に深い傷を残した」と
書いてあった。

安倍政権のことを思うと、新鮮を通り越して妙な感じすらした。名護屋城博物館は壬辰倭乱についての説明文で「14世紀の日本と朝鮮の関係
は『倭寇』」をめぐって展開された」と書いている。韓国侵略基地だった名護屋が韓国交流センターに変わったのだ。

今、九州国立博物館では「古代日本と百済の交流」という企画展示が行われている。369年に百済が倭王に贈ったといわれている「七支刀」
をはじめ、百済の数多くの遺物が展示されている。この企画展の案内文にも「百済が日本に及ぼした影響を確認し、両国間の古くから続く
関係を明確に知ることができるように願う」と書かれている。今回の探訪では日本の文化界が韓国に感謝し、継続的な交流を望んでいることが
分かった。九州国立博物館の学芸員、荒木和憲さんは「両国の政治が行き詰まっている時ほど、文化交流を増やすべきだ」と語った。

韓国と日本の関係は、1350年の倭寇による略奪行為以降、約660年間も確執と平和を繰り返してきた。問題となるのは毎回、日本側の挑発で、
日本の和解の動きに韓国が前向きに応えるたびに平和を取り戻した。2002年のサッカー・ワールドカップ韓日共催で最高潮に達していた両国
の善隣関係は、05年の「竹島の日」制定や極右的な教科書検定で悪化し始め、国交正常化50周年の今年、最悪の状況に至っている。

安倍首相に九州国立博物館を訪れることを勧めたい。そこに展示されている朝鮮通信使行列図を見て、一度深く考えてみることだ。なぜ日本
の使者は「国王使」だったのに、朝鮮の使者は「通信使」だったのか。昔も今も、韓国が日本に望むのは、互いを「信」じ、「通」じ合う(交流する)
ことなのだ。

文化部= 韓賢祐(ハン・ヒョンウ)次長

ソース:朝鮮日報 2015/01/24 11:36
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/01/24/2015012400809.html
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