1: 蚯蚓φ ★@\(^o^)/ 2014/11/22(土) 22:51:04.55 ID:???.net
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▲キム・ムゴン東国(トングク)大教授・コミュニケーション学

韓国を初めて訪問したある日本人の友人が韓国の風景や遺跡だけでなく韓国文化全般にどっぷ
りはまって帰った。特に美食家を自任するその友人は各地方ごとに特色ある私たちの食べ物の味
に休む暇なく親指を上にあげた。また、ひとりの親韓派知識人が誕生する瞬間だった。ところがた
った一週間で韓流ファンになったその友人がとうてい理解できないことがあった。それは我が国の
レストランの器文化だった。

観光地のどのレストランに言ってもステンレスの茶碗とプラスチックのおかず器を出すことが‘少し
いぶかしかった’と言う。日本人が他人の事を‘少しいぶかしかった’と表現すれば、それは‘驚い
た’という意味だと見れば良い。

日本のきらびやかな陶磁器文化の本家が韓国であることを知っている日本人の目に韓国本土の
ステンレス茶碗は明らかに理解できないだろう。朝鮮陶工たちが日本に連れていかれたその時か
ら日本は器らしい器を作り始めた。日本で陶磁器産業が伝統的に発達した場所は佐賀、山口、鹿
児島など主に九州など西日本地域である理由は主にこれら地域の大名らが朝鮮の陶芸家を連れ
て行ったためだ。

代表的な人物が李参平(イ・サムピョン)だ。佐賀地方の領主、鍋島直茂によって有田地方に引き
ずられて行った李参平は日本で陶祖と呼ばれ今もあがめられる存在だ。彼が1616年、有田泉山
で白土を発見し、近所に窯を作って磁器を焼き始めたのがその後ヨーロッパの上流層社会を熱狂
させた‘アリタヤキ(有田焼)’の始めだ。

彼が作った白磁は質が良くて美しく、生産されるやいなや大ヒットになった。初生産翌年からその
地域の税収が35倍に急増した。この時、鍋島は朝鮮陶工7人に姓を下賜して、李参平には子孫
代々で三石永代の文書も共に下賜した。武士階級と子々孫々禄俸を保障する途方もない特権だ
った。李参平一族の子孫は今も先祖の名前をそのまま書きながら朝鮮陶磁器の脈を引き継いで
いる。

‘有田焼’はその後、主要輸出港で近所の伊万里港の名前を取って‘伊万里焼’と呼ばれ1730年
まで70余年間、東インド会社を通じて700万個の陶磁器を東南アジア、インド、南アフリカ、ヨーロ
ッパなどの地に送った。佐賀県をはじめとする西日本の諸藩は陶磁器を通じて莫大な富を蓄積し、
それが幕府打倒と日本近代化の動力になったことは良く知られた事実だ。
(中略:白磁匠ペク・ヨンギュ先生の紹介)

日本に引きずられて行った陶工たちは英雄になり、韓国に残った陶工たちは笑いものになった。
日本が奪っていった朝鮮器は国宝になったが、韓国人の食卓にはステンレス茶碗が置かれてい
る。日本人の茶卓には朝鮮陶工の後えいらが作った芸術品が置かれているのに韓国人の手は
紙コップとマグカップを持っている。恥ずかしくてあきれる。

ソース:世界日報(韓国語) [文化散歩]残念な私たちの器文化ステンレス茶碗が食卓獲得
http://www.segye.com/content/html/2014/11/21/20141121003353.html

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