慰安婦問題












1: ☆ばぐ太☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ば ぐ 太☆ Mkつーφ ★ 2013/08/07(水) 11:12:20.10 ID:???0
・第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が
 韓国で見つかった。男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った。
 慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が
 多いが、現場にいた第三者による記録は、冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。

 朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の
 博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹
 神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。

 日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。
 漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。
 男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある
 42年を含む8年分は、見つからなかった。

 男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」と記述。44年4月6日には
 「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。
 ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦
 703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。


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